ハイファイセット

1977年、ブラジルのシンガーソングライター、モーリス・アルバートの「愛のフィーリング」になかにし礼が歌詞をつけたカバー曲「フィーリング」が大ヒット。
第28回NHK紅白歌合戦にも出場。
以降、山本潤子のソプラノ、山本俊彦のテナー、大川茂のバス・ヴォイスによる抜群のコーラスワークと都会的で洗練されたアレンジで、ニューミュージック全盛の時代に高い人気を誇った。
1980年にいったん活動停止するが、1年後に活動再開し、4ビートジャズを日本語の歌詞で歌うなど新境地を開拓した。
1984年には「素直になりたい」がシチズンのCMソングに使われてヒット。
1992年10月の活動休止まで、シングル曲26枚、アルバム19枚を残し、1994年9月に解散。
解散後、山本潤子はソロシンガーとして、山本俊彦はプロデューサーとして活動しているそうだ。

ジョン・ウェスト

ジョン・ウェストはアーテンション、ロイヤル・ハントなどのバンドで活躍した。
そんな彼が、のどの付近にガンが見つかった。
ある医者からは歌手生命の終わりを告げられたが、別の腕の良い医者の手術によりガンは治り、現在もシンガー活動を続けている。
手術の影響か、以前の歌声とは声質が違っているが、実力派であることに変わりは無い。
ロイヤル・ハント在籍時のアルバム「The Mission」はD,Cクーパー在籍時の「Moving Target」に次ぐ最高傑作と評されている。

インストで初めて

オリコンチャートの習慣1位に、インスト曲として初めてなったのは、坂本龍一のenergy flowだ。
1999年3月から第一三共ヘルスケアリゲインEB錠のCM曲として使われた。
放映開始当初は、スクランブル交差点の真ん中で坂本がこの曲をピアノで演奏する様子を見下ろす視点の映像が使われていたが、その後坂本出演部分がカットされたものとなった。
元々CMで使われた30秒だけが作曲されたが、CMで評判が上がり、CD発売が決定したため、急遽他のパートを追加し一曲に仕上げた。
CMで使われた音源はアルバム『CM/TV』に収録されている。
2005年には坂本のアルバム『/05』でセルフカバーが行われている。
2008年にはスケボーキングが同曲をリメイクしたヴァージョンをシングル「elegy train」に収録している。
坂本はこの曲に対してそれほど思い入れがないこと、なぜ売れたのかが分からないというコメントを幾度となく残しているそうだ。
脱力する。

リックウェイン

プログレの巨匠、YESを何度も出たり入ったりしているキーボーディスト。
ジュール・ヴェルヌの名作SF小説『地底旅行』をテーマにしたライヴ・アルバム『地底探検』もヒットしたこともあって、リック・ウェイクマンの名はプログレッシヴ・ロックのファンに知れ渡ることとなる。
それだけではない。
小林邦明の入場テーマ「ザ・ルームPart1」でも有名だ。
古いプロレスファンなら聴いた事がある筈。
前田明の凱旋試合も、この「ザ・ルームPart1」だった。
当時はこういう同時期にリングに上がっている選手どおしでも、入場曲の使い回しというのは普通だったのだろうか。
入場テーマといえば、その選手のもう一つの顔みたいなものに今ならなっているが、当時は前座がテーマ無しで入場したり、今ほどには重要視されていなかったのかもしれない。

実際に意味は無い

ラウドネスのクレイジーナイト、「MZA」のコールは有明MZAの事かと思っていたが、MZAができたのはもっと後の話だった。
それで、実際のところはスタジオで高崎が「MZA」と叫んでいたのをそのままマックスノーマンが気に入って使った、という事らしい。
ちなみにSDIはStrategic Defense Initiativeの略、これは戦略防衛構想の事だそうだ。

ジャパニーズ

日本のメタルが栄えていた頃、ラウドネスやVOWWOWだけでなくEZOも居て、アンセムも居て、デッドエンドも居て、リアクション等も居た。
面白い位にバラエティに富んでいた時代。
世界的に見ても粒がそろっていたと思う。
アメリカナイズされていたバンドもあれば、独自の路線をいくバンドもあった。
面白い時代だっただろう。

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